生命不死のこゑ | ||
僕は、ナゼ「こゑ」と書くかといへぱ、ワ井ウヱヲ(WA WI WU WE WO)W系の声を、整理心型のさけびとしたので、ワ行の声には「整理する、ととのへる、自分のものにまとめる、雑をすてる」とゆふ感情が、基本的にはあろう、としたからサ。 アカサアナハマヤラワの各行の声は、それぞれ独立した声をもツてゐる。 声の体質がみなちがツてゐる。 それぞれに、ととのツてゐる。 雑をいれてゐない。 人も、女と男とでは、それぞれ声の質がちがツてゐて、女は女そのものの声、男は男そのものの声、のひびきにきこえるとおもふヨ。 そして女でも、花子さんの声と正ちゃんの声とは、またちがふネ。 みんな、その人だけにととのッた声をしてゐて、それぞれにきき分けられるでしヨ。 スズメはスズメの声だし、ガラスはガラスの声だし、カナリヤはカナリヤそのものの声でしヨ。 さへづる、とゆふ英語の中に、ととのふ感情の、心型の字のあるのを見るヨ。 TWITTER(囀る、「(T)出す。(W)そのものにととのふものを、(T)出して、(T)出して、(R-)やる」ともきくヨ。 WARBLE(囀る)、「(W)そのものにととのふものを、(R)他のほうへ、(B)八方へとひろげて、(L)やる」ともきこえるナ。 それで僕は、ととのふW心型のワ行の字で「こゑ」と書くのサ。 「さへづる」のは、「(サ)自分を、(へ)八方へとひろげて(ツ)出して、(ル)やる」のだと、をしへられるヨ。 さへづる、の「サ」を、サ行心型の声を、「原基、己」としたネ。 そして、そのの原基へもどる心を、ワ行の、己にととのふ、元にもどる」W心型の声、と、してきたヨ。 このことは、の原基から分れて、アカサタナハマヤラの、各心型のはたらきに動き、それらの心型のはたらきをやめてしまッて、捨ててしまツて、の原基へもどる声が、ワ行W系の声だと、したのサ。 僕らの生活では、すむところ、すまゐが、の原基になるヨ。 そこから、進んだり、ひろがツたり、迎へたり、するでしヨ。 そして、仕事のうごきをみんなすてて、すまゐにかへッてくる。 この、の元基へもどる心の声を、ワ行W心型の、己にととのふ心、のさけび、と、聞いたのサ。 「(ス)原基に、(ム)力をおさへて、(ヰ)心をととのへてゐるところ」が、すまゐ、かネ。 いよいよこの、の原基の声だネ。 この、の原基が、サシスセソSXZ系をさけぶ、と、言ッたヨ。 この、の原基は、どこから来たか。 この、の原基は、生命から来た、と、僕には見えたヨ。 ここで、いのち、のことを、あまり語りはしないヨ。 いのち、とは、生きてゐる実質で、地界の物質とはまツたくちがふネ。 それは、宇宙とおなじにおほきくなれるし、人間の想像の限界よりも小さくなれるし、その極微の小ささの内にも、宇宙よりもおほきい広大を入れてゐるし、ともかく、自由自在無限の、生きてゐる実質として、その一端を、わづかに、のぞいてみたのサ。 その極微の一点を、の形にみえたネ。 いや、いのちの、究極の一点は、の形をしてゐると、感じたにすぎないヨ。 その極微のの原基が、無数無量に生きて微振動してゐるのをみるとしてみたのサ。 いのち、のことを、この地界物質現象の鋳型にいれられた、わづかに手が二本足が二本、アカサタナハマヤラワ十行の声でより物をゆふことのできない、あはれな人間の頭が、考へてみることなぞ、とてもできはしないヨ。 半分物質がくツついた頭で考へるんだから、真実であろうはずがないネ。 けれども、極微のの原基が無量無数に微振動して並んでゐるのは、その部分を拡大すると、数の子の粒々のならぶように、ブドウの実の粒々の房のように、並んでゐるとみえてくるのサ。 そして、数の子のなかの一粒の中に、魚になる生命体がはいッてゐるように、無量無数に微振動してゐる、いのちのの原基は、ことごとく、自由自在の生きてゐる実質が内奥して並んでゐる、と、想像できたヨ。 それは物質をつけてゐない生きてゐる自在の実質で、生きてゐるぱかりだしネ。 自由自在ばかりだしネ。 不滅ばかりなのだヨ。 無限量が内奥からでてくるのだから既に完成してゐる実質だヨ。 自らを守ることばかりだネ。 不死なのだから、無限の自愛性ばかりがあるのだネ。 これらが、無限無量のの原基のことごとくに、同一にならんでゐる、と、みえたのサ。 どうしてそう想像するかといへば、僕自身が、そうかんがへられるからサ。 およそ自分にないものと共鳴することはできない、と、おもふヨ。 僕が考へられるのだから、僕とゆふの原基の、いのちの実質は、千万億劫の昔から、僕とともに既に完成してゐた、ことになッたネ。 僕は、千万億劫の昔から、既に完成してゐたわけだナ。 そして僕は無限の自愛性をもツてゐるわけだヨ。 僕は無限の愛とともにゐるネ。 僕は無限愛そのもののわけだネ。 僕は絶対愛そのもののわけだナ。 自殺のときは、妻も子供も友人も排泄して、物質から脱出して行く、これも、己そのものにかへりたい自愛とみるヨ。 ここの話を又の時としようネ。 生きてゐる実質の、いのち、のことは、物質の頭ではかんがへられないのだから、肉体物質を脱出してから、語ろうサ。 だが、生命プラス物質である僕は、生命のほうの考へで、この世へきた生きてゐるの原基の声を追跡できると、おもふナ。 いのちの原基はの形をして既に完成してゐた。 と、したヨ。 それが地界へきて、九つの心の形につくられたとみたのサ。 心の形の発光をくはへて十の心型、この十の心型がアカサタナハマヤラワの声をだす、と、きこえたヨ。 その中の一つに、の心の形があるネ。 これは、いのちの原基がこの地界であらはれてみせたの心の形と、みえたのサ。 |