わゐうゑをと末尾の心 |
昭和四十五年十一月二十日の読売歌壇で、椿芳子さんのに、煮うどんのにほひたちこむる夜のくりや子らに夜食はこれにきめゐしと、にほひ、ゐし、を拝見して、感情かなづかひを考へるヨ。 生長の家の「白鳩」を拝見しても、「なほる、あらはれ、には(庭)」など戦前からのかなづかひで、「現代かなにしてはどうですか」との誌友の問ひには、「谷口先生のご信念によツて、この、かなづかひを使ってをられる」との解答をのせてあったネ。 内田百聞も、戦前からのをとほされたし、いまはこれを使ふ文の稀れな中に、昭和四十五年十月五日付よみうり新聞の「ノーベル賞文学全集刊行に寄せて」を見て、川端康成が「いふ、思はれる」のかなづかひを使ってをられるのに気づいてネ。 そのあとに、同年十一月二十五日、天才作家とうわさされた三島由紀夫の割腹自殺があッた時、本屋の棚から「暁の寺」をとッてめくると、「いる、あはれ、には」の、かなづかひを発見したのサ。 僕は、それほどに読んではゐないが、目にうつるほとんどが現代かなだから、これら民族的伝統を愛した作家が、わゐうゑを五段の文字をずーっととほして使ったことに、「法城を守る人々」を感じたネ。 高名の作家が、保守かなづかひの血統をつないでゐるのを知ッて、僕のうれしさは一人でおどツたヨ。 僕は、声の感情さがしの「遊戯」をしてゐたからネ。 ワヰウヱヲには「元へもどる、末尾にくる」との感情があると聞えたが、「わづか」も、「(ワ)末尾的な量を、(ツ)取り、(カ)入れてゐる」とかたりかけてくるネ。 「末」のことの「すゑ」も、「(ス)ことの、 (ヱ)末尾」と言ツてゐるヨ。 「お膳をすゑる」も、「(ス)状態を、(ヱ)元にかへして、(ル)つなぐ、または、「(ス)基点のところの、(ヱ)元にかへして(ル)そこにつなぐ」とも、声の宇を読むヨ。 朝が出発、はじめの方でネ。 東でしヨ。「(ヒ)ひらきを、(カ)迎へる、(シ)方向」と、声の字にきこえてくるネ。 「あづま」も、「(ア)出発して、(ツ)進む、(マ)うごき」の方とでるヨ。 英語のEAST(東)も、やはり「(EA)発出する、(S)方向の、(T)進み」だと、つづツて見えるナ。 ところで、西を一日の日ぐれの方、末尾の方とみると、英語にはここにワ行W系の「末尾の感情」の字があるネ。 WEST(西)、「(Wまとめの、末尾の、(S)方向の、(T)すすみ」と、なツてあるのサ。 「にし」は、「(二)別の形へはいる、(シ)方向」となるから、「(ニ)前形が消へてしまふ、(シ)方向」で、「(二)分けてはいる、(シ)方向」と、よめてくる。 はるなつあきふゆのすすみを見ると、春がはじめで、冬が末尾にくるかネ。冬の、WINTER、に、末尾の心の字をみるネ。 「(W)ここに末尾へきて、(NV)別の形のほうへと、(T↑)進みを、(R-)つなぐ」と、ごていねいに説明してあるときこえるのサ。 冬を、声の感情だけできくと、「(フ)ひろがツてきたものが、(ユ)ここで集まる、または、抱へられる」とゆふ都合のいいイミにもよめてくるのだヨ。 背 水 「生命光体抄」とあはせながらここまで書いたものを、人名簿から百名ほどの知名の方に発送したのサ。 身のほどしらず恥をかくとは覚悟して投函したヨ。 贈呈とも書けなかッたヨ。 背水のおもひでネ。 ところが、返信がおくられたヨ。 面白い研究のようだ、とゆふイミのご芳信を、数通いただいてネ。 叱られそうで内に引ッこんでとじこもるような気持だからお礼を申しあげることもしなかッたが、また、つづける元気がでたヨ。 |