太陽魔術                                                                               

感情体文字(その1)
 <コメント>
「或いは」は「あるいは」ではなく、「あるひは」と書く。
「拝む」は「おがむ」ではなく、「をがむ」と書く。
「筋」は「すじ」ではなく「すぢ」と書く。
父はこの表記法を感情体仮名遣いと言っていました。
「あるは」の「」はハ行拡大心、思いを広げる感情を表している、
がむ」のはワ行整理心。雑を捨てて純になる感情を表している。
だから、このような表記の方がが言葉に含まれる感情を的確に表しているというのです。


いまのコトバよりしらない男は、いまのコトバのイミを、感情体の声でつづってみることをはじめた。

いまの世界にあるコトバをヨコの線にあつめることをしてみた。
男は、いまになって.コトバのつづり字をかんがへるようになった。

「それで私は.ときどき.つっかかりましたヨ。
「或」の字は、「あるいは」か、「あるひは」か、となると、このイミは、どうも「心を八方へひろげてみる気持におもへて」ひろがるハ行の◎拡大心の宇で、「あるひは」が、声の感情をしめすのにふさはしいようにみえてネ。
辞書をみたら「あるひは」とあるので、手をたたいてよろこぶ気分でしたヨ。」

「拝」のときはまちがったネ。
拝むとは、「(オ)心を発して(カ)こちらへお迎へして(ム)心に守る」ことだろうと、たかをくくって辞書をみたら、「をがむ」とでてきたときは、先人の熟考さに、つくづく感じいりましたヨ。
ナルホド「拝」は、『(ヲ)心をととのへて、または、雑をすてて、(カ)お迎へして(ム)心に守る」こととする感情の声の字につづってあった、と、なりましたネ。
「をがむ」の「を」は、さわやかの「わ」とおなじワ行の「整理する、ととのへる、己にもどる、雑をすてる」だから「虚心」になる気持ともみえましょうか。

雑をすてて心をまとめる気持でワ行の「をがむ」でしたネ。
ワ行を「まとめる心」とみると、をとこ(男)、をす(雄)、をっと(夫)、の「を」の心もうなづけるようですヨ。
治、修、納、などは、「まとめる、整へる」などのワ行の感情の字で「をさめる」となりましたネ」
                                         
「条」や「筋」や「線」のときは、これらは長くすすむものだから、夕行進取心の字で「すぢ」だろうとしましたヨ。
サシスセソ(サ行)の「ズ」は.基点にゐる感情の字、になるから.すすみませんネ。
筋は長いから、進取心の夕行で「すぢ」とみたのですネ。
辞書にも「すぢ」でしたヨ」。

「恥、のときもササシスセソの、基点の心型の「シ」にしたら、「(ハ()ひろがりの(シ)停止」となって、端、机のはしのところの「はじ」となるが、恥かしいのは、そこからにげたい、進みだしたい気持かナ、とみて、「(ハ)そこからはなれて(ヂ)出たい」として、「はぢ」と書いて.おそるおそる辞書をあけたら「はぢ」とあったのでホッとしましたヨ」

「その筈の「はず」は、ピタリとあたりましたネ。サ行の、基点、原点、確定の原体心型の感情で、『(ハ)あらはれるが、(ス)確定にある」とみたから、「はず」としましたヨ。
もちろん辞書にもそのとほりで、「その、(はず)」とありましたヨ」

「あらふ(洗)とか、あらはない、とか言ふでしョ。
あらは、までは、洗ふことだヨ。
あらひたりとか、あらふとか.あらへ.とかネ。
ハ行は、うごきをひろげる、ことをあらはす、元の形からひろげて行く、拡大心型の字としたヨ。
だから、あらは、までなら「(ア)心を発して(ラ)右から左へと(ハ)動きをひろげる、または、行ひをひろげる」ことでネ。
動かす行動をあらはしてゐるわけだ。そこへ、「ない」がくるとネ、あらはない、と.「ない」がくると、ナニヌネノN系の感情は、分けてはいる分析心型の声、とみたからサ。
分けてはいる、くぐりぬけて、前とはちがった、別の形になって出てくる、分析心の声とみたからネ。
前形がうちけされるのだヨ。

 木の実がナッた、のもサ。まへには実がなかった、その前形がうちけされて別の形が出たのだ。
木になかったところへ、実がくぐって出てきたから、実がナッた、のだ。

せんたく物を.あらは、までは、「(ア)心を出して(ラ)右や左へ.(ハ)動きをひろげようとする」のだろうナ。
そこへ、それをくぐりぬけて分けてはいって別の形にでる、ナ行分析心がきて、前形をうちけすから、(あらは)、が消される、あらひ、がけされて、あらはない、となると、洗ふのをやめるネ」
        .
「言はない、もおなじだネ.言は、までは言ふわけサ。
ハ行を、あらはす、ひらく、ことをひろげる、拡大心型の字、としたからサ。
私は、ひらく、ひろげる心の拡大心型の声の字のハヒフヘホをおくと、「(ユ)かかへてゐるものを、(フ)ひろげる」とみえてきて.言ふ、とか、「言は」とか、「言ひ」とか.「言へ」とかと、書くうになったのサ。
そこへ、ナ行の、分析心型の、分けてはいる、前形を消す声の字の「ナ」がきて、言はない、となれば、「(イ)かかへてをるのを(ハ)ひろげてやる」のが「(ナ)前形を消す」わけだ。

「だから私はネ、はひふへほ、の宇をみると.「姿を、ことがらを、心を、行動を.ひろげて行く、あらはして行く、ふくらして行く、原形からはなれて行く、そこから去って行く、原形から刻々にかはったものへとひらいて行く、八方へと表面化をつづけて行く」とする感情がうかんでしまふヨ。

わらひ(笑)も、わらは、わらひ、わらふ、わらへ、と、はひふへの宇をみると.(ワ)一つにまとまってゐた面もちがネ、(ラ)左右へとつながりを、(ヒ)八方へとそのうごめきをひろげて」波紋のようになってしまうのだナ。
わらふ、の「わ」のうちは、ととのふ、まとまるのワ行W整理心の宇で、元にもどってすましてゐるからネ。
わ、のうちはまだ笑ってゐないからサ。
そこへ、右や左へはしる、つながるラ行連絡心がきたり、八方へとひろがるハ行◎拡大心型の感情の字がくると、「(ワ)まとまってゐたのが(ラ)つながりを(ヒ)八方’へとひろげる」からサ。

わゐうゑをは、一つにととのってゐるとみるヨ。
雑をすてて、ほんとうの本心にもどってゐる心をワ行整理心としたからネ。
だからネ、ゑむ(笑む)と言ったら、「(ヱ)本心が、(ム)内のほうでうごいている、うごめいている」となるので、なにやら外のほうへおほっぴらに出さないで「(ム)こらへられたようなうごき」のわけでしヨ。
わらふとか、わらひとか、と。ハ行がくると外へおほっぴらに、動きがあらはれる、ひろがるわけだ、と、したョ」
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