各民族語分解遊戯 |
一律一辺倒のかんがへには、あやまりがおほいと、おもふネ。 よいとおもへるウラには悪いウラがあるし、わるいと見えるウラには善いウラがあるとおもッて、ものを見ようとするヨ。 声の感情で、コトバのイミをあらはすのが、たくさんあるはずだ、と、かんがへたネ。 躰の構造は人類みなおなじように教へられたと、おもふがネ。 だから、躰をくみたててゐる十心型が叫ぶコトバにも、おなじ感情に連結したものが、おびただしくあるはずだ、と、しなければならなくなツたヨ。 すこしばかりではないはずだ、と、なッたネ。 しかしまた、躰のくみたての違ッた人種もゐるのかもしれないしネ。 くみたてはおなじでも質の濃い薄いがちがふかもしれない、または、くみたての回転がちがふかもしれないヨ。 だから、日本のコトバの十心型の感情のつながり方とは、別なつながり方のコトバもあるにちがひないと覚悟して考へることをわすれぬこととおもふヨ。 僕らは「バカな奴」とか「あいつは、パーだ」などとゆふ。 ところがアイヌ語には、「ハイタタル」と書いてあるのサ。 英語には「FOOL」とあるでしヨ。 バカの「バ」、パーの「パ」、ハイタタルの「ハ」、FOOLの「F」、どれにも、「中心から離れた、普通のところにゐない、あたりまへから離れて行ッた、とみた、ひろがる心型の「ハ行の声」があるナ、と、みてしまふヨ。 「ハイタタル」と「FOOL」とは、耳にはちがツてきこえるネ。 よくみてヨ。おなじ声になッてあるサ。 ハイタタルの「ハ」と「ル」、F00Lの「F」と「L」と、ネ。 ハイタタルを、「(ハ)普通からはなれて、(イ)ゆく、(夕)すすみ、(夕)出て、(ル)他の方へと」と出せるし、FOOLを「(F) 普通からはなれて、(L)他の方へ行ッた」と、きこえるのだナ。 辞書をみると、つぎつぎと、いッぱい、感情のよめるようなのが、でてくるヨ。 僕はまッたくの素人だから、子供が自分にだけ気にいツたものを見つけて、ひとりでよろこんでゐるようなものだョ。 ひろがる(拡大)心型が、ハ行HPVPF系をさけぶと見たネ。 ハ行には「ひろがるとか、ふくれるとか、あらはれて行くとか、の姿からかんがへられる感情をみる」といッたネ。 アイヌ語に、木の葉、のことを「ハム」とあるヨ。 そして英語にも「LEAF(葉)」とあるネ。 どれにもハ行の、「ひろがる、とか、ふくれる」とかの感情をみるんだナ。 英語のは、「(L)一方から他のほうへ、(F)ひろがる」とみえて、長さをもッてひろがる、ように、これもナカナカ分析的なつながり、のようサ。 英語はたいてい、とても分析的サ。 「ハム」を、「(ハ)ひろがる、(ム)うごき」ときけば、日本の葉「(ハ)ひろがる、または、ひらいて行く、または、形をふくらせて行く」ようなのと、にてるネ。 ところがアイヌ語には別に、長くつながる葉のようなコトバが、「ムンラ(葉)」とあるネ。 「(ム)うごきが、(ラ)他のほうへつながる」ともきこえるヨ。 そんなら、口の中の歯はどうだとなるでしヨ。 ハ行には「ひらいてくる、それから、あらはしてくる」との感情もみたでしヨ。 歯は、「(ハ)あらはしてくる」ほうにイミをこじつけたいネ。 だからネ。 あるコトバでは「(ハ)ふくれてくる」となり、ほかのコトバでは「(ハ)ひらいてくる)」として、さけぶと考へてみるのサ。 だから、イミの知らぬコトバを、分解することは、ナカナカだ、と、言ふのだヨ。 禿げ、とは、「(ハ)あらはれてゐる」のかネ。 毛のあるところに毛がなくて、「(ハ)ひらいてゐる」のかナ。 アイヌ語にも、(ハ行の声をみるヨ。 「オトブーサク」とあるヨ。 「(オ*)発し、(卜)出て、(ブ)ひらいた、(サ)実体を、(ク)受ける」ときいてみたが、英語のBALD(禿)にも、ハ行とみるBがあッて、「(B)あらはれて、(L)左右が、(D)出てゐる」と、みえてくるのダ。 ヘソのある「ハラ(腹)」を、アイヌ語には、「ホ二」とあるし、英語には「BELLY」とあるネ。 「ハラ」を、「(ハ)ふくれる、(ラ)左右」ときけぱ、英語もおなじようで、「(B)ふくれる、(L)左右の、(L)つながりを、(YX)抱へる」と、これも英語は分析的だろうヨ。 「ホニ」を「(ホ)ひろげて、(ニ)わけてでる」としてみたら、英語のNUDE(裸)に、分けてでるナ行N系の声を連想するヨ。 「(N)中から分けて、(D)出る」のを裸とみるかナ。 そういへば裸も、「(ハ)ひろげて、(夕)出て、(カ)くる」とゆふから、裸は、ぬぐらしいナ。 ぬぐ、の、「ヌ」が、「(ヌ)分けてでる」ナ行の感情としたものだヨ。 アイヌ語のホニの「二」の声だヨ。NUDEの「N」だヨ。 ハ行の部だけにも、こんなのが、いくつもでるネ。 しかし僕は、専門でないから、若い人にたのむヨ。 |