<コメント>
今から60年ほど前のこと、私が12〜13歳くらいの正月のある日、一人の中学生が手紙を携えて病み上がりの父を訪ねてやてきます。
以前壁塗りを頼んだことのある職人の子供でした。
父は求めに応じて、手元にあったなけなしのお金貸し与えます。
そんなエピソードからはじまります。
父は楽天的な金銭感覚の持ち主で、「お金は必要な時に必要なだけ入ってくる」といつも言っていました。
今日食べるものがあれば、明日へのたくわえなど1円も無くても平気。
こんな父のもとで、母は大変な苦労をしました。
母の苦労や心配をよそに父は「9心型」に夢中。
人体は、九心型の回転にくみたてられてうごいてゐるとみてきた。
躰の構造にないものを人は表現することはできないにちがひない。
声の感情は、躰をくみたててゐる九心型のさけびではなかろうか。
万物は9つの心型から出来ているのであれば、声も心型の現れのはずだ。
(進取)の心型はどんな声を出すんだろう。
こんな発想から声の感情を探っていきます。
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