十年かかる |
赤木三兵さんの「アイヌ語集」を見たが、興味をもッたヨ。 つぎにそれを言ッてみるが、その赤木さんに、しごとの結果がでるまでには十年かかる、と、をしへていただいたヨ。 なるほど、この瞼でさへ、閉じてゐるから、ひらきはじめ、ひらききる、までの速度があるネ。 朝あけてから、夕べまでにも、昼をとほツて行く、時間のながれがあるヨ。 春がきても、ひととびに冬とならない、夏、秋、をすごす速度があるネ。 この地界でのものごとには速度があるとおもふヨ。 生命光体には速度がない、常に生きてゐる実質には速度がない、と、みるからネ。 若いうちほど、考へたらスグに実現できる、と、かんがへちゃふ。 赤ん坊ほど、速度の早いコマーシャルやマンガに共鳴して、うつつをぬかしてよろこんでるとみるナ。 この年令は、生命に物質的なもののくッつきがまだ少い時だろネ。 生命に地上の物質的をいッぱいくッつけた老人にちかづくほど、地上の物質には速度があることを身にしみて感じてゐるから、考へた ことが今スグ実現するとはおもへなくなろうヨ。 自分の考へた結果のでるのを、子や孫へのぞみをつなぐだろうナ。 だから、若者ほど気がはやくて、せッかく意義のあるものを、速度をなくして、ぶちこはしてしまッて、牢屋のなかで、反省中、などと言ツてるのぢゃないのカ。 生物とは、生命プラス物質、のことと、僕はおもふからサ。 ましてや僕の話などは、ようやく書きだすのに十五年の速度をすごしたヨ。 結果は、さらに十五年かかるネ。 それまでには、死ぬ者がゐるとゆふ期待があるのサ。 あたらしい人が考へてくれるとおもふヨ。 |